この試験は45問を100分で解く学力試験でした。内務の試験は国家公務員採用Ⅲ種試験と同レベルで、外務はそれよりやや易しくなっていました。公社化以降は内外どちらも内務と同じレベルに統合されました。入社後外務から内務へは従来と異なり、無試験で行けるようになったことから、内務のレベルに合わせたと考えられます。出題範囲は一般知識(政治、経済、社会、日本史、世界史、地理、国語、芸術、数学、物理、化学、生物および地学)、知能(文章理解、英文)、判断推理、数的推理、資料解釈で計45問です。このうち特徴的だったのは芸術で、15年度は内務は美術、外務は音楽に関する出題がありました。この試験、1次合格の目安は6割と言われていましたが、受験地や年度によってかなりの差が見られました。また平均点も年によって大きく変動するようで、12年度の外務は8割でも平易に取れたのに対し、15年度は5割でも困難な状況だったようです。15年度は公社初の試験ということで対策が取りにくく、平均点がかなり下がったようでした。
120問を15分で解くスピード試験です。計算、照合、図形など,問題はいたって簡単ですが,練習を積み重ねないとなかなか多く解けるようにはなりません。図形は特に慣れることが必要です。この試験の点数化の仕方は変わっていて、正答数から誤答数を引くことになっています。たとえば89問できても14問まちがっていれば正答数は75ですから、75から誤答数14をひいて61点ということになります。苦手な問題を飛ばす行為も誤答と同じ扱いになります。この試験にはいわゆる足切り(4割、48点)があるといわれていました。また教養1問正解と,適性6~7問正解が同等の価値があるといわれていました。試験の内容により平均点が大幅に変わるようで、13年度は120問全部解けた人も結構いたのに対し、15年度は50問解くのもやっとのような状態だったようです。少しでもよいので,毎日練習すればだんだん速くできるようになるのもこの試験の特徴でした。
試験は1次で行われますが、結果は2次で反映されました。郵便局に関連することや、友人についてなど、さまざまなテーマで出題されますが、これからの仕事に結びつくような出題が多かったです。600字で45分以内で書きました。ポイントですが、誤字、脱字は真っ先に減点要素になります(採点は国語の先生が行うわけでなく、郵政職員の手で行われるので、文章能力より誤字脱字のほうが減点基準にし易い)。文字数ですが、やはり字数制限ぎりぎりで書くことが好ましかったようです。余りに余白が多かったり(8割、480字以下)、字数を超えてダラダラ書くのはよくありません。特に6割、360字以下では合格は厳しいとされていました。字数を超えて裏面に書くことは認められていましたが、減点の要素となったようです。内容についてはあまり過激なものや偏重のあるもの、テーマから逸脱したものは嫌われていたようです。
内務の出題目(平成14年度までは国家公務員Ⅲ種試験であったため午前、午後に試験がわかれています)
11年度(午前)「住み良い社会にするために私ができること」
11年度(午後)「社会生活におけるルールの乱れについて」
12年度(午前)「ボランティア活動について」
12年度(午後)「これから挑戦したいこと」
13年度(午前)「私がリフレッシュできるとき」
13年度(午後)「私が心がけているマナー」
14年度(午前)「コミュニケーションの大切さ」
14年度(午後)「学ぶことの大切さ」
15年度「あなたが考える全国に広がる郵便局ネットワークの有効活用について」
16年度「郵便局のファンを増やすには」
17年度「やりがいのある職場とは」です。
外務の出題目
11年度「今、郵便局職員に求められているもの」
12年度「友人から学んだこと」
13年度「あなたの考えるお客様満足とは」
14年度「郵便局に生かせる私の能力」
15年度「あなたが考える郵便局と地域社会とのふれあいについて」
16年度「あなたが考える郵便局のイメージアップ策について」
17年度「お客さまに満足して頂くための取り組みについて」
以下の記述は公務員時代の面接試験の様子ですが、現在でも参考になるところも多いと思います。当時の試験は15~25分行われる個別面接で、面接官は基本が3人(2~5人の場合あり)、服装は当然スーツ等正装で行きました(これはアルバイトなどの例外を除いてどこでも当然でしょう)。ドアをノックしどうぞと言われてから入室し、きっちりドアを閉め(このとき面接官に背を向ける形になるが、 きちんとドアの方を向いて閉める)、席まで歩み寄り、面接官に「番号と名前を」と言われるので立ったまま元気よく答え、どうぞと言われてから座るようにします。この一連の動作は 非常に重要だとされていました。このあと面接に入ります。まず聞かれるのはこの会場にくるのにどのくらいかかったかなど、緊張をときほぐすようなものからです。そして志望理由です。必ず聞かれる質問ですので 、外務ですと「中より外での仕事が好きだ」、「バイクが好きだから」等さまざまなことを考えておいたものです。いくらなんでも「営業が好きだから」は少し無理があるように感じられます。
営業の経験や、営業についてどう思うかなどもよく聞かれました。それと人間関係に関することです。例えば友達について、親友の数、意見が対立したときどうするか、どこかへ行くとき主にどちらが企画するかなどです。元気よくはきはきと答えることで、多少言葉に詰まってもよい印象が得られました。終わったあとは立ち上がって「ありがとうございました」と言い、ドアのそばまできてから面接官に一礼し、退室します。この面接試験は面接をする面接官(普通局の課長や特定局長など)が多くいて、受験生をみる判断基準もばらばらであり、大きくは合否に反映されないと言われていました。しかし公社化以降からは2次試験で1次合格者の7割が落とされていますので、かなり面接重視になりました。配点も全体の半分を面接が占めていました。評価基準はAからEの5段階で、3人のうち1人でもDまたはEをつけると、教養などの点数に関係なく即不合格となりました。また局長の子息であるなど強力なコネを持った人は、通常1次合格すればその多くが最終合格しており、やはりコネの力は大きいと痛感したものです(郵便局でゆうメイトをやっている程度では「強力なコネ」とはなり得ませんでした)。郵便局で非常勤等で働いていた人で、そこでの勤務態度が悪いと逆効果で、2次試験で不利に働いたことは言うまでもありません。
外務区分のみ行われ、視力、聴力、尿、胸部レントゲン、心電図、色覚、血圧、身長体重などの検査をしました。服装は検査を受けやすい普段着がよいのですが、わざわざスーツで来る人がいました。おそらく公務員予備校ではそのように指導していたのでしょう。しかしこれでは着替えなどに手間取りかえって迷惑をかけることになったと思います。同日に面接がある場合を除き、スーツを着ていくメリットはなにもなかったと断言できます。健康保険証持参を指示されることがありますが、再検査になったときのことを考えて、念のために指示していたようです。この検査では特に血圧で引っかかることが多いです。「ふだん120が今日に限って160ある(緊張のためか?)」といった具合です。このような軽微なものは合否を左右するようなものではありませんでした。ただ胸部レントゲンなどで引っかかり異常とされたような場合は、合否に影響が出る可能性があったようです。なお検査結果は得点化されるものではなく、合否の判定のみに使われました。
11月の下旬に2次試験の合格発表がありました。合格した人には希望調書などの用紙が入っていました(合格通知のみが送られてくる支社もあります。調書は後日送られてきます)。これに記入して返送していました。採用は12~3月という早期採用の場合があって、これは「すぐにでも採用を希望している」「空きのある局が自宅から通勤可能」「無職、アルバイトなどすぐにでも採用に応じられる」という場合に多かったようです。3月中には早期採用以外の人全員に連絡(支社からではなく採用局から電話)があり、基本的には4月1日付までには全員採用されていました。なおそれまでは全く連絡がないので結構心配したものです。
勤務希望地は一応考慮してくれるようですが、そこにもれると遠くても不人気地(傾向として都市部の希望が多く、都会から離れた郡部が不人気)へ行かされる可能性がありました。連絡は同じ支社管内でも一斉に行うのではなく、早いところでは2月下旬から遅いところでは3月下旬とまちまちでした。これは退職者の関係や、例えば3月上旬に連絡した人の中から必ず辞退する人がでるので、その様子を見て中旬、下旬と順に人を貼り付けていったようです(あとから連絡がくるものはたまったものではないが)。また連絡は特定局採用と普通局採用でもやり方が異なっていたようです。普通局では後日配属課を言い渡されました。公務員時代末期は普通局では、基本的に保険課、貯金保険課、貯金課に当てられました。14、15年度はほぼ採用がゼロだった、外務の集配営業課での採用も、16年度からは復活しました。保険課配属の新人の離職率のあまりの高さが背景にあったのかもしれません。
なおその局を辞退した場合ですが、「辞退した場合はその後の連絡はありません」などと書かれていても、大抵もう一度他の局からの打診はありました。この場合、採用は4月以降になる可能性が大でしたし、さらに条件が悪くなる場合もありました。ひどい場合は採用されない場合もありました。特に外務の場合、保険課は離職率も高く、せっかく難関を突破してもやめてしまっては水の泡になりますので、自分の希望とあまりにもかけ離れている場合、採用局へNOの返事をすることも必要だったと思います。
身体検査は1月中旬頃行われる場合が多く、2次試験で行われたもの以外に血液検査(かなりの量をとられる)などが行われました。このときユニフォームの採寸も同時に行われました。なおこのユニフォームの採寸は、他支社管内を希望している人には、試験地の支社ではやってくれない所もありました。この場合、自分で測るか、採用局で測ってもらっていました。
採用前面接は局によってする所としない所があり、この面接では仕事の内容、待遇の説明がありました。しない所では入局してから説明を受けていました。なお支社によっては、年内に合同説明会が開かれる場合がありました。この説明会への参加は自由ですが、遠距離の人は別として、だいたいは皆行っていたようです。これも支社によってはやらない所もありました。
4月1日、入社式のあと午後からの人もいれば、中旬からの人、6月に入ってからの人などがいました。1月採用の人では2月頃受けていた人もいて、時期もまちまちでした。2週間(土日は休みで10日、内務の無特採用は12日)行われ、内容は知識的なことが多く、それほど実務では役に立たない内容で、その後さらに引き続き保険などの実務研修を受けていました。合計で1か月近くの研修所生活でした。なお週末は自宅等に帰ることが出来、ほとんどの人がそうしていました。
上図 東海郵政研修所(桑名市)寮室の様子。4人部屋でした。